内なる女性性と男性性のバランス(その2) ― 善悪の二元論を超える

こんにちは、YURIA Leeです。

前回、「内なる女性性と男性性のエネルギーバランス」についての記事を書いたところ、記事のアクセス数が多かったので、続きを書いてみようと思います。

内なる女性性と男性性のエネルギーバランスを取る

2017.11.12

前回の記事の中で、「善悪二元論を超える」について少し触れました。

今日はその続きから。

私は現在、1歳半の息子を育てさせてもらう
母親業をメインに生活していますが、

今のところ、子育てほど私に
「この世には正解も間違いもない」ことを
教えてくれる格好の教材はないと感じます。

普段は、同年齢の子どもを持つお母さん方と
接する機会が多いわけですが。

皆さんと話していると、
ちょくちょく登場するのが、いわゆる

『理想の母親像』という幻想。

この幻想に誰もが一度は苦しめられる経験が
あるようで、私の場合も例に漏れずでした。

自分の選択が、子どもにとって、
家族にとって、正しい選択なのだろうか?

この選択は母親として、
間違っていないだろうか?

頻繁ではなくとも、ほぼ無意識にも
「このように考えた経験がある」という人が
ほとんどではなかろうかと思います。

別の言い方をすると、
世間的な他人軸で考えられた【理想】とか、
何か絶対的な【正解】が、

自分の外側にあるのでは?という幻想

今でこそ、声を大にして断言しますが、

自分が大切にすべき【価値観】とか、
自分にとっての【真実】とか、
自分にとっての【正解】は、外側には無い。

どこを探しても、一生をかけても見つかりません。

どんな師匠とかメンターとか、
子育てのベテランに聞いても、
正解を教えてもらえることはないです。

というか、色々な人から、どれだけ
正解のように見えるものを受け取っても、

何が自分にとっての真実かを、
自分で決めない限り、

「これって善いことなの?悪いことなの?」
という二元的な思考癖が永遠に続きます。

私自身がそうだったから、これはどうしても
熱く伝えたくなってしまいますが。

子育てにしてもそう。

子どもが何歳で〇〇できているのが=善
(世間的な理想)で、

何歳で〇〇もできないなんて=悪
という図式が少しでも自分の中にあると、

「できていないのはダメなんだ」という、
要らぬプレッシャーの中に自分と子どもを
晒すことになります。

実際は、できていてもいいし、
できていなくてもいい。

どっちでも良いのです。

できていてもいなくても、そのこと自体は、
自分や子どもの絶対的な存在価値には何ら影響しません。

どちらでもいいけど、
できたらもっと楽しいかもね。

できるように勇気づけてあげたり、
子どもが自然に「やりたいな」と思うように
工夫してみたり、その過程を楽しめばいい。

そういう親のスタンスの違いを、
子どもは敏感に感じ取ります。

存在しているだけで価値がある
「存在承認」のパワー

できてもいいし、できなくてもいい。

やってもいいし、やらなくてもいい。

「あなたはただ存在しているだけで、
無条件に超絶価値ある存在なんだよ!」

これぞ女性性の存在承認の威力なのです。

この存在承認だけは、はっきり伝えないと、
子どもは理解することができません。

「〇〇ができたから、偉いね、すごいね」
という条件あっての承認は行動承認

もちろん行動承認も大切なのですが、
親が行動承認「しか」しないと、子どもは
「△△できない自分はダメなんだろうか?」と勘違いし始めます。

「どんなあなたでも、最高の価値があるよ。
存在してくれるだけで、ありがとう」

そう伝えられるのが、存在承認の力。

そう言ってもらえると、大人でも安心しますよね。

子育てに限らず、すべてにおいて言えることだと思うのですが、

「この世には、正解と間違いがあり、
正しいことを選ばなければいけない」
という幻想から、

本当の意味で自由になるときが来ています。

地球上には、「人を殺めてはならない」とか
「盗みをしてはならない」といった、
道徳的モラルや倫理性はもちろんあります。

私たちが何故そういったモラルを
守るべきなのか?といったら、

自分という人間の高潔さや神聖さを
自ら大切に守りたいからであって、
「モラルを破ると地獄に落ちるから」
ではないのです。

「悪いことをしたら、罰が当たりますよ。
だから親や先生の言うことをよく聞いて、
善い行いをしなさい」

こんな脅し文句を聞いたことや言ったことが
ある人は、どれくらいいますか?

良いことをした善人は天国へ。
悪いことをした悪人は地獄へ。

一神教の宗教信仰をもたない数多くの
日本人ですら、こういった二元論的意識が、
無意識の底に横たわっています。

「間違いを犯すのが怖い」という
怖れの感覚はここから来ています。

間違ってもいい。
間違えたと思ったら、選び直せばいい。

そう頭で理解していても怖いのは、
強烈な意識の刷り込みがあるからでしょう。

もうそろそろ、自由になるときです。

すべての母親に言いたい。

この世には、良い母親もいなければ、
悪い母親もいません。

良い人間だけや、悪い人間だけが
いないのと全く同じように。

あなたは既に、あなたのままで、
良くも悪くもない、とてもステキなあなたなのです。

で、ここでようやく本題です。

この話と、「内なる女性性と男性性のバランス」がどう関係してくるわけ??についてなのですが。(…前置きが長くてすみません)

女性性と男性性は担当分野が違う
その違いを理解して使い分ける

これまでの話で、何が自分にとっての正解か
「自分で決めることが大切」と言いました。

そのときに役に立つのが、
女性性と男性性の役割分担を知ること。

こんな風に分けて考えてみてください。

  • 内なる女性性とは=自分が大切にしたい
    在り方や価値観、自分の欲望は何か?を、
    とことん知っていくパート
  • 内なる男性性とは=その女性性で知った
    「在り方や価値観、欲望」を、自分の
    どんな目的のために、どの方向に向かい
    どうやって持っていくのか?を決めて、
    自分で動かすパート

この協力関係が仲良く調和したとき、
人生が音を立てて動き出します。

内なる女性性で導き出すものは、
誰に何を言われようと揺るがない、
あなた自身にとってだけの
大切な、かけがえのない価値観。

「こう在りたい」という、純粋な欲望。

それは、漠然としていて、どこにも
行き場のないものかも知れません。

女性性は「ただ在る」だけなので、
単体では、どこにも発展していきません。
ただ在るだけなので(笑)

その女性性のエネルギーを動かしてくれる
頼もしい相方が、内なる男性性エネルギー。

男性性は「なぜ?どうして?何のために?
どうやって?」といった、目的を要します。

目的や方向性のないものは、動かしようがないからです。

「何のために働くの?」
「何のために生きてるの?」
これらは内なる男性性の問いかけです。

もう一度まとめると、

  • 「何が」自分にとって大切なものなのか?
    =女性性エネルギー
  • その大切なものを「何のために」「どう」
    発展させていくのか?=男性性エネルギー

この2つが両輪のように、自分を動かす
エネルギーとなって動いてくれます。

当然ながら、何が自分にとって大切で、
何が目的なのかは、自分にしか分からないことです。

だからとことん自分で自分を知り、
自分で自分の目的を決める必要があります。

ここを本気で掘り下げることを
していないと、何が起こるか??

何も起こらないならばまだいいのですが、
残念ながらそうはいきません。

自分の価値観や自分の目的を
はっきりと決めていない人は、

自分以外の他人や世間が
「これを大切にすべきだ!」
と声高に主張するものとか、

自分以外の他人や世間が
「こういう目的をもつべきだ!」
と押し付けてくるものに、

知らず知らずのうちに、
影響を受けていくのです。

冒頭で言及した『理想の母親像』なんかも、
まさにそれの典型です。

「何歳くらいまでに子どもを産まないと」
(大きなお世話である)とか、
「男ならこれくらいは稼いでいないと」とか
「母親ならばこうあるべき」などなど・・・

どこの誰とも知らない集団の同調圧力が、
多くの国や文化圏に少なからず存在していることは、歴然です。

それでなくても、「会社の目的」とか、
「親の目的」「コミュニティの目的」とか
それがたとえ自分が心から賛同している
何らかの目的であったとしても、

それは自分以外の誰かの目的であって、
自分のものではないとはっきり自覚することです。

自分で自分の目的を決めることです。

言葉を持たない女性性の欲望

内なる女性性と男性性をバランスよく
使いこなしていくためには、

徹底的に「自分を知る」ことが必要不可欠。

『あなたにとって大切なことは何ですか?』

こういう質問をすると人はつい
何か大それたことや、聞こえの良い
回答を探し求める傾向にあるようですが、

自分にとって大切なことは、
人から見たら本当にどうでも良いことの中に
潜んでいたりするものです。

  • 取るに足らないこと
  • どうでも良さそうなこと
  • 小さな小さな欲望
  • 低俗でくだらないけど好きなこと
  • ないがしろにしてきた願い

他人に聞かせるための、
聞こえの良い「価値観」ではなくて。

誰に理解されなくてもいい。
人にはガラクタに見えたとしても、
あなたにとって大切ならば、それは宝物。

自分の中にある女性性は、
まだ言葉を持っていません。

女性性の声を拾い上げ、
丁寧に言語化していくプロセスは、
あなたの小さな欲望を救済する旅。

社会的な価値を生み出すことや、
何かを成し遂げることだけを
追い求めてきた男性性優位社会に
生きる私たち人間にとって、

女性性の声はあまりにも本能に忠実で、
重視するには値しない、低俗なこと
のように解釈される傾向があります。

良く言ってみても「休日の趣味程度」
それが何の人生の目的につながるんだ?
と思えるようなくだらないこと。

時間や暇があれば向き合ってもいいけど、
「メインで考えるべきことではない」と
後回しにされ、無視されがちなのが、
内なる女性性の欲望です。

何となく気になってはいるけど、
「どうせ無理」と諦めている夢。

誰にも言わず、密かに続けている趣味。

お金になんか変わらない。
プロにもなれやしない。
だけど好きだから続けていること。

そういうものの中にこそ、
あなただけの「大切」は眠っているのです。

誰にも証明できないから、
もういいやと思って諦めてしまった
あなたの宝物は、まだ死に絶えていない。

その大切な宝物たちを、
あなただけの人生の目的に乗せることが
できるのは、あなたしかいないのです。

何をずっと、無視してきたのか?

どんな物言わぬ本音が、
ずっとそこに隠されていたのか?

本当は本当は、どうしたかったのか?

自分の中にある男性性を使って、
その言葉をどこに運んでいきたいですか?

今日も最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。

あなたに最良の光が届きますように。

 

2 件のコメント

  • その通りですね^_^

    私はとりわけ女性性が強い性質で、自己受容自体ははできているのですが、男性性のエネルギーの用途を、いまいち理解はしていなかったことを思い知りました。

    自分の中で女性性と男性性の折り合いがやっとついてきたこのタイミングで、即出てきた貴方とこのブログに感謝します☺️

    ありがとうございました^_^ /

    • ルネル様
      温かいメッセージをありがとうございました!
      そうですね。私自身も実は、女性性優位の傾向がありながら、男性性エネルギーをいまいち発揮しきれていないなぁという感覚を長らく持っていました。
      今現在もまだ、未熟な男性性と女性性とのバランスを学んでいる途上です。
      女性性の豊かな感受性あってこその、男性性の活躍の場が育つと感じているので、焦らずじっくり育てていこうかと。
      当ブログが少しでもお役に立てたとしたら幸いです☆ こちらこそ、ありがとうございました!

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    ABOUTこの記事をかいた人

    1984年、愛知県生まれ。シンガポール在住15年になる一児の母。宇宙意識研究家、フリーライター、組織変革コンサルタント。ひとりひとりが自分の本質へと還る旅を応援するラーニングサロン『Art of Life Script 』代表。個人向けにはありのままのユニークな可能性を拓く個人コンサルテーションを、組織向けには組織としてのパフォーマンスを向上させる組織コンサルテーションを提供している。