本気で腹の底から笑い合いたいから、本気で笑えない体験をする「私たちの物語」はまだ面白い

こんにちは、YURIAです。

久しぶりの更新になりますが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。

私はというと、この約2年半のあいだ、粛々と会社員生活を営んでおりました。

この2年半のハイライトとしては、以下のような主な変化がありました。

  1. 元夫との事実離婚と、性的自律を経験:
    5年間の婚姻関係にあった元夫との事実離婚手続きを経て、法的にシングルとしての立場に戻りました。その過程で、これまで自覚の薄かった自身の「性的自律」と向き合いました。
  2. 長年抑圧していた実親への感情に向き合い、精神的自律を経験:
    実親と関わり合う上で、長年、無自覚に抱え続けてきた精神的呪縛の闇深さに気づきました。自らの生い立ちを振り返ることで新たな視点を得て、「母娘共依存状態」からの脱却を経験しました。
  3. 新たなキャリアの確立と、経済的自律:
    仕事では、組織人事コンサルティング会社に勤め、東南アジア拠点の日系企業の組織変革案件を数多く担当しています。社会的自律とともに、純粋に「チームで仕事をする楽しさ」を体験中です。
  4. 網膜剥離の手術を経て、身体を大切にすることを再び学ぶ:
    昨年8月に、右目の網膜が剥離していることが分かり、緊急外科手術を受けました。過剰に仕事を頑張り過ぎ、身体を大切にすることを疎かにしていたため、再び日々のセルフケアの重要性を学んでいます。
  5. 男性性と女性性のバランスに関しての学びがアップデート:
    男性性を鍛えようと躍起になるあまり、活力のベースとなる女性性の感受性が枯渇していた、昨年あたりから、ひたすら「本音に向き合う」プロセスを歩んできました。その結果、新たな視点から男性性と女性性のバランスに目が向けられるようになりました。

これらの多面的な変化を、俯瞰してみると、
知らなかった自分を新たに発見し、また次に進むために、古い傷を癒し、自分を許す。

そんな繰り返しの、コツコツと積み木を積み上げるような、静かな日々でした。

本気で腹から笑い合いたいから
本気で笑えない体験をする

ここ2年間のあいだ、記事の更新をやめて、沈黙していた理由は、単に仕事が激務過ぎて、余剰の時間が作れないという生活状況だったことが主な要因ではありますが、

それ以外にも、元夫との事実離婚という、正直心からは「笑えない経験」の渦中にあり、心の深部を整理していたからという理由もあります。

私の人生の最終目標のひとつにはいつも、「腹の底から誰かと笑い合うこと」という項目が入っています。

元夫と、その目標を分かち合えるかなと思い結婚しましたが、「夫婦」という役割形態の中で、互いが求めているものが次第にすれ違い、夫婦関係を維持していくことが難しくなりました。

男女間の痴情のもつれは、地球屈指の茶番劇になりますので、もちろん今では面白可笑しく振り返ることができますが、その渦中にいるときは、本人たちはニコリとも!!!笑えないものですね。

「笑い」を心から敬愛し、人生の究極目標が「笑うこと」な私が、どうしても笑えない時というのは、やはり相当ツライものです。しかし何故か、私たちの人生において「笑えない時」というものが存在します。

「嬉し涙」と「絶望の涙」が必ずセットでやってくるこの宇宙には、振り子の原理がようなものが働いているようです。我々の中の「他者と笑い合いたい」という願いの本気度が高いとき、その願いと同じ熱量で、最も対極の遠地点にある「どう足掻いても、他者と笑い合えない」という絶望体験をするチャンスが、なぜか振り子のように我々を招き入れるのです。

もしこの記事を読んでくださっている方の中に、いま現在「本気で笑えない」状況下に在る方がいらっしゃる場合は、もしかすると、あなたは「他者と笑い合いたい」や「誰かを笑顔にしたい」などの『本気の願い』を、心の奥深くに持っているのかもしれません。

振り子のボールが反対側に大きく振り切った瞬間に、これまでの絶望体験の意味が、分かります。まるで目の前の水平線から太陽が昇るように、世界が光に照らされ、その意味を理解するのです。

子どもの心を守りたいからこそ
痛みを伴う選択でも、前に進む

現在、5歳の息子と共に生きる親の立場として、私が考える親としての責任とは、以下の2つだと考えています。

  1. 自分の幸せに責任を持ち、自分を大切にすること
  2. 子どもの心身を大切にすること

夫婦仲に問題があったとき、私も元夫も、それぞれ「幸せ感」が薄い状態で、自然と仲良く笑い合えていない状態でした。それが、息子の幸せと心身の健康にとって、良い影響がないのは明らかなので、この状況を変えなければ、と考えていました。

親自身が、自分の幸せに責任を持つこと。それをまず決めました。

幸いなことに、私と元夫の間で、「どのような事情であれ、子どもの前で父親と母親がいがみ合う様子を見せるべきではない」という考えだけは、意見が完全一致していました。

元夫は、私が幼少期からDV(家庭内暴力)が恒常化していた、機能不全家族で育ったことを知っており、それ故に、子どもが受けた心的外傷やトラウマの後遺症が、その後の人生において、どれほど甚大な影響を及ぼすかについても、理解を共有していました。

そのため、息子が不安を感じることなく安心して過ごせる生活環境を育むためには、自分たちがどう在るべきか、長い時間をかけて、話し合いました。

紆余曲折と幾多の葛藤がありましたが、いったん現在の結論として、互いを規定している「夫婦」という社会的役割の権利・義務関係から互いを解放し、夫と妻からひとりの人間対人間になろう、ということになりました。

自律した人間同士、対等に尊重し関わり合うことで、できる限り正直かつ平和な父親・母親関係を築いていこう。そういう結論になりました。

自分たちが男女として、今後も愛し合えるかは分からないにしても、息子の幸せと心身の健康という互いにとって最大の共通目的を守るため、いったん夫婦関係を解消し、調和的な人間関係を再構築することを目指して、協力しようという試みです。

この選択には、いったん信じて築き上げたものを破壊するという、深い喪失の痛みが伴いました。

それでも、息子の笑顔を守るため、痛くても前に進む選択ができて、良かったと感じています。その後、喧嘩や衝突が無くなり、息子と3人で居るときも、一緒に笑い合えるようになりました。

シンガポールでは子どもの「共同親権」が認められているため、私たちは共同親権を持ち、今後も息子に関する重要事項の決定は、双方が共に協力し行っていきます。

なぜ離婚ではなく「事実離婚なのか」であるとか、そこに至る経緯での「性的自律とは」等、背景話が長くなるため、また機会があれば別記事にて書いていこうと思います。

自我が自分自身にも隠していた
「最奥部の本音」を聴く

なんと4年前、こんな記事 ↓↓ を書いて「親への文句を完全に手放した」と宣言していた自分がいたことを思い出しました😂

自分が生まれ育った家族の本質を見る―「親のせいでああなった」を完全に手放すとき

2017.12.08

「手放した」じゃなくて、本当は「手放せるといいな」と言いたかったんですね(苦笑)

たしかに、宇宙意識の悟りの次元から見ると、「心の傷」という概念そのものが幻想であり、そもそも「愛と感謝しかない」という考察は、一理の真実を含んでいるなと今も思うし、この記事を書いていた当時の気持ちに、偽りはありませんでした。

ただ、自我意識の次元から見ると、親に本音を話せず、気を遣う子どもが「全ては問題ない」と思い込みたいが故に、つい綺麗事を並べ立ててしまうような、怖れの感情にも、今なら気づくことができます。4年前、自我が自分に何を隠し、何を抑圧していたのか、気づいていませんでした。

私はずっと、親に安心して、本音を話すことができませんでした。

彼らの機嫌を損ねないように、いつも無意識に、気を遣っていました。

私は元来、父と母が大好きな子どもでしたので、過去に何が起きたにせよ「仲の良い親子関係」を維持することに、必死だったのだと思います。それがたとえ表面的な仲の良さであっても。

これまでは、「育ててくれた親に感謝こそすれ、親を悪く言ったり、親に怒りや恨みを持つなんて、あってはならないことだ」と考えていました。「親の適切ではない言動もあったが、親なりに懸命にベストを尽くしてくれたのだから、もう過去のことを考えるのは止めよう」と、気持ちに蓋をしてきた部分があります。

しかし、この歳になり、人間関係でも仕事でも、何度も同じようなパターンでつまずく度に、根本的に解決されていない自我の暗闇を、いよいよ無視できなくなってきました。
そして、これまで自分の身に起きたことを、まるで何事もなかったかのように黙殺してやり過ごすことも、もうできないのだと、悟りました。

長年、私は「本音を話すことで、母を傷つけたくない」という思いをずっと抱えていました。
祖母や父との関係で、もう充分過ぎるほど傷ついてきた母の心が、これ以上傷ついて欲しくない、と思っていたからです。

しかし、昨年末あたりから、心境に変化がありました。

「本音を話すことで、相手を傷つけてしまうかも」→「怖いから、話さないでおこう」で済ませていても、何ひとつ状況が変わらない。

自分が心から求めていたものは、「私たちなら本音を話しても大丈夫だ」と信じられる、本当の意味で健全な、信頼関係ではないか。その信頼関係を「自分から築く」ための勇気を持つことが、今必要なんじゃないのか。

傷つけ合うことを過剰に怖れるのではなく、もし間違った言動をしてしまった場合は、親子間であっても、問題に誠実に向き合う必要がある。そう考えるようになりました。

自分にひた隠していた、自我の最奥部に蓄積されていたもの。それは紛れもなく、親への怒りと恨みであり、何より親への恩義を忘れて、そんな恨みを手放せない自分自身への怒りと罪悪感でした。

「病理が在る」ことをまず認める
はじめの一歩は「認知」から

元夫と対話を重ねる中で、私のある「認知の歪み」を、彼に再三指摘されたことがあります。

私の父は重度のアルコール依存症と双極性障害という精神疾患を抱えており、私の母は極度の不安障害を抱えていました。

私が幼少の頃より、父と母は頻繁に口論し怒鳴り合うことが多く、子どもである私の目の前で、父が母を殴る蹴るの暴行を加えるといった、冷静に考えれば異常な状態が、日常化していました。

父の身体的な暴力が、直接子どもである私と姉に向くことはほぼなかったものの、子どもの面前で父が母に暴力を振るい大声で怒鳴る行為や、逆に母が父への罵詈雑言を私と姉に言い続ける行為、言葉による脅し・脅迫行動等が頻繁かつ長期間に渡り、繰り返しありました。
父の暴行が止まず、警察を呼ぶまでの騒動に発展したこともあれば、母の顔面が腫れあがり、救急車で搬送されたこともあります。

しかし、それらの行為自体が、明らかに「精神的な児童虐待である」という認知を、つい最近まで私自身は持っておらず、なんなら「家庭環境は良くなかったが、病から何とか自力で立ち直った」くらいの認識でいました。

元夫に「いやいや、それは完全に児童虐待だから」と指摘され、はじめて「そうだったのか」と、気づきました。

そして「もう終わった」と思い込んでいた家庭内トラウマの病理は、終わったわけではなく、今もなお、虐待サバイバーとして、その後遺症と共存し続けている事実に気づき、ようやく直視すべき闇の深さを認知しました。

私の両親は、私たち姉妹を「虐待している」という自覚は恐らく無く、それらが凄惨な虐待行為であると知らずに、行っていたと思います。

虐待という家庭内トラウマは世代間で連鎖すると言いますが、私の父の父(祖父)もアルコール依存症で言動が暴力的で支配的な人物だったと聞いていますし、私の母の母(祖母)は祖父への暴力的な言動を行い、子どもの養育を放棄、ネグレクトする児童虐待を行っていました。

つまり、両親は2人共、虐待被害者でもありました。おそらく、曾祖父や曾祖母の世代以前から、そのような虐待が連鎖していたと思われます。

世代間連鎖の認知と、新しい選択
「観測する精神」の目醒め

口論による夫婦間のいがみ合いや暴力を、子どもに見せることは、子どもの心身に取り返しのつかないダメージを与えることになります。そのことを、身を持って経験した立場として、私はそれを息子の前で行うことを絶対にしない=虐待を連鎖させないと、決めています。

DV(家庭内暴力)の恐怖による心的外傷ももちろん深刻なダメージでしたが、実は、私が回復に最長期間を要する、最も深いダメージを負ったのは、母の「愛情」という名の下に起こった、常軌を逸した過干渉によるコントロールの結果、重度に喪失した自己肯定感でした。

母の基本スタンスは、「あなたのためにやってあげる」という一見、無償の愛情でした。

しかし、私が自分の感情を理解し、自分の知性で思考し、自分の力で選択するという、自立に必要なプロセスは、ことごとく「母の感情」と「母の思考」と「母の選択」に沿うよう、価値観を押し付けられ、支配されていました。

不安障害を抱えていた母は「私無しではこの子はあらゆることが上手くできない」という考えの下、私に失敗させないよう、何もかもに手出し口出しました。学校の宿題にも、工作にも、絵画にも。読書感想文さえも、母が代筆していました。「私がどう感じたか」にじっくり耳を傾ける代わりに、学校の課題として求められる「正解を出さなければ!」と躍起になっていたのだろうと思います。

毎日のゴールは、父がキレて暴れないこと、母の機嫌を損ねないこと、不用意に失言や失態を犯さないこと。

父・母・他人の感情を逆撫でしないよう、どう振る舞うべきかを考えるのが最優先事項になり、自分が「本当はどう感じているか」は価値のないゴミ情報と見做されていたため、自分の感情も思考もよく分からなくなりました。

思春期に入り、そんな母の過干渉から逃れようと、抵抗してみせた時期もありましたが、「親の言うことが聞けないなら、この家を出ていけ」もしくは「私が出ていってやるから、ひとりで自活できるものならやってみなさい」といった脅迫的な言動が繰り返されました。衣食住を確保して生きていくために、母の機嫌を損ねないことの方が、自分の感情に対処することより重要でした。

子どもとして、自由にのびのびと、喜怒哀楽を感じる権利を、奪われていた長い時間。

それは、人としての尊厳を踏みにじられていた時間でした。

父と母もまた、似たような苛烈な子ども時代を送り、自分が親にされて一番辛かったことを、無意識に自分の子どもにもやってしまう。典型的なアダルトチルドレン(AC)であった父と母に育てられた私もまた、漏れなく、生粋のアダルトチルドレン(AC)として育ちました。

ACには、ACとしての、乗り越えるべき課題と生き方があります。

自分の身に「何が起こってきたか」について、俯瞰的に把握するための「観測する精神」を目醒めさせることが、何よりも大きな助けになります。

自己責任の罠を抜け出し
自分の人生を取り戻す

ACの特徴として、何でもかんでも「自分が悪い」と思い込む癖があります。

人生で起こることに対して、自己責任を引き受けることは成熟した態度ではありますが、ACは自分の責任範囲外のことにまで「自分が悪いせいだ」と必要以上に思い込みがちです。

たとえば両親2人共が、自らの感情に責任を取っていなかったことは、両親の問題であり、私の責任ではないはずです。しかし、常に情緒不安定で、幸せそうではない精神状態の父と母を見続けることがあまりにも辛く、幼いながらに「両親が幸せでないのは、自分が悪いせいだ」と思い込むことで、自己の無効力感・無価値感を感じる毎日でした。

不安症の母は、父に関する愚痴や不安な気持ちを娘の私に吐露し、私はそんな母の不安を受け止め、親身に支えることで、母に認められたいという承認欲求を抱えた、母娘共依存の関係にありました。

母が心身の不調を訴えると、何とかしてあげなければと責任や罪悪感を感じ、私の心もざわつきました。それが不健全な共依存関係であると、気づいていませんでした。父と母がなるべくネガティブな感情状態にならないよう、無自覚に最大限の気を遣って、コミュニケーションしていました。

これは、ACの人が頻繁に陥りがちな「自己責任の罠」と言われています。何が起きても「自分が悪いから、自分が他人より劣っているから、自分がもっと頑張らなければ」と、無意識下の強迫観念に常に苛まれ、自らを責め立てる傾向があります。

そこに気づき、「自分以外の人間の感情に、責任を負う必要はない」と真に理解する必要があります。たとえ父親でも、母親でも、彼らの感情や人生の選択に、子どもは責任を負っていないし、これからも、決して負う必要はないのです。ようやくその意味に気づき、ついに勇気をもって「母娘共依存」から脱却することができました。

自分がACであると認められたことで、私は「私で在ることを」にやっと安心できるようになりました。

これまで、どんなに幸せな結婚生活も、どんなに息子が天使のように笑っても、どんなに仕事で成功体験を積んでも、自我の強烈な自己否定の暗闇が、根底に在り続けていたことで、「まるまる安心し切った状態で、無邪気にただ幸せを享受すること」が、どうしてもできませんでした。

そして、そんな暗い性格の自分が好きになれず、キラキラと輝いて見える、同世代の友人たちを羨ましく眺めては、「どうしてこんなにも私の人生は暗く、どこまでも陰気臭いのだろう」と。こんなにも恵まれているのに、それでも幸せを感じられないなんて、「やはり私が異常な欠陥人間で、私が悪いせいなのだ」とまた自分を責める、その繰り返しでした。

ACにとって、「自分にOKを出すこと」は、容易ではありません。自我の自己否定の病理は、どこまでも闇深く、永遠に終わりがないようにすら、感じられます。

しかし、終わらせようとするのではなく、否定するのでもなく、私は「自我の痛みと共に在ること」を選ぼうと決めました。

痛みがここに在ること。闇がここに在ること。それを、そのまま受け入れる。

この世界から完全には失くすことができない「自己否定の暗闇」に気づき、それが在ることを認める。

共に在ることで、少しずつ、その暗闇を受け止められるように、なっていきます。そして、光ではなく、暗闇の方こそ、自分の人生を裏側から支えている、大切な資源だったことに、気づいていきます。

それが、本当の意味で、自分の人生を取り戻す旅になると、いまの私は感じています。

網膜剝離による強制終了
自分を大切にするの真の意味

ここ2年余りのコロナ禍でも、有難いことに、仕事の案件が全く途切れず、むしろ忙し過ぎるがあまり、充分な休息が取れない日々が続いていました。どうしても安心して休むことが上手くできなかった私は、育児と並行しながらの苛烈な長時間労働を続けていました。

ACにとって難しいことのひとつは、自分に安心感を感じることです。

これは、日常的に身の危険を感じることがない、心底から安心できる家庭環境で育った人であれば、当たり前に持っている感覚かもしれません。

私はこの安心感を、成人後の21歳以降から、後天的に自分自身の内側に育ててきましたが、幼少期にその安心感の基盤を築けなかったために、未だに不安定な部分があることを自覚しています。

仕事になると、「自分は他人の数倍は働かないと、期待されている結果を出せないだろう」という恐怖心が常につきまとい、自己犠牲的に働き詰める傾向がありました。

今思えば、元夫との離婚によって、最も親密だった人間から「必要とされなくなった自我の不安感」を解消するため、異常なまでに仕事に没頭し、分かりやすくワーカホリックに陥っていたと思います。

大袈裟ではありますが「過労死の一歩手前」までいくような(今思えばおいおい、やれやれですが…)極度に心身を追い詰める仕事一辺倒の生活を続けていた、ある日のこと。

ある朝、起きてみると、右目の視界の下半分が真っ暗…でした。

医師の診断は、「網膜剥離 → 即、緊急手術」でした。

身体が教えてくれたのは、自分のこれまでの在り方、生き方、働き方の選択の結果。

自分を大切にするということは、「安心して休む方法」を適切に学ぶこと。

大真面目に超絶がんばる自分だけではなく、いつも逃げ出したい自分に気づいて、受け入れること。

綺麗事を言って良い人間ぶりたい自分にも、醜い本音で他人を罵る卑しい自分にも、どちらにも気づいて、受け入れること。

医師から「失明の危険がある」と告げられたとき、「一体そこまでして(視力を失う一歩手前の状態までになって)、私が頑なに見ようとしなかったものは、何だったのだろう…」と思いました。

そして、術後の長い療養期間を利用して、これまで自分の中で、頑なに無視してきた数々の「物言わぬ本音」と向き合っていきました。

「自分の物語」を語る必要性
誰もが「共体験」を持っている

これまで私は、自分の人生ストーリーをくどくどと他人に語ることに、抵抗感がありました。

人間は基本的に、他人の物語には興味がないと、考えていたからです。

このサイトを開設してからも、読み手に価値のある情報は届けたいけれども、「誰も私の個人的な物語には興味がないだろう…」と、書く手が止まってしまっていました。

しかし一方で、私はしばしば他者の「個人的な物語」に記事や動画で触れては衝撃を受け、心が震えるような体験をすることが、ほとんど毎日のように、あります。

この現象は何なのだろうと思うにつけ、これまで接点のなかった「誰かの物語」と「わたしの物語」がどこかでクロスするときに、わずかな瞬間でも「私たちの物語」として、共体験を生み出す一瞬、のような何かがあるのではないかと、考えました。

言い方を変えると、人間は本質的に自分と何の接点も、何の「共体験」価値も持たない他人だけの物語には興味が持てない生き物なのでしょうが、逆に、自分の人生体験との重なりや、深い共感を見い出せた瞬間に、とても豊かな価値を他者と交換できる生き物でもあります。それも、お互いがその影響に気づかないうちに。

私たちは、知らない間に、誰かの勇気や力になっていることが、想像以上に沢山あるからこそ、誰もが「自分の物語」を語る必要性がある。次第にそう考えるように、なりました。

単なる一過性の共感や同調を得るためだけではなく、長い長い魂の遠征の途中で、私たちはお互いにとって、深淵な意味のある体験を生み出したいと、求め合っているのかもしれません。

人間の魂の物語(ナラティブ)には終わりがなく、変化変容が続いていきます。

私にとって、宇宙意識への回帰は、自己完結しておらず、「他者との複雑な関わり合いの中から、慈愛を学ぶ」というテーマが、どうやら今回の人生では一番の課題のようです。

そんなわけで、ゆっくりとではありますが、表現活動をまた再開していけたらと考えています。

このサイトにたまたま訪れてくださったあなたの物語に、少しでも面白い発見や、感性を刺激する彩りを添えられたら、それだけでとても嬉しいです。

これからも、どうぞよろしくお願いします。

YURIA

 

1 個のコメント

  • 実体験のお話、ありがとうございます。共感、また胸が震える。正に‥
    正直な話だからこそ、魂が共鳴します。

    ACとしての過去。実親との関係、母からの見えない支配。
    苦しみ、又それをなかったコトに、自分が悪いから。と思いながら生きてきたこと。不正直さ。。
    筆者様がこの場で伝えてくださったことに、救われる方がたくさんいらっしゃいます。(私も含め)本当にありがとうございます。

    感謝と、愛をこめて。

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    ABOUTこの記事をかいた人

    愛知県生まれ。シンガポール在住15年になる一児の母。宇宙意識研究家、フリーライター、組織変革コンサルタント。ひとりひとりが自分の本質へと還る旅を応援するラーニングサロン『Art of Life Script 』代表。個人向けにはありのままのユニークな可能性を拓く個人コンサルテーションを、組織向けには組織としてのパフォーマンスを向上させる組織コンサルテーションを提供している。