目に見えない世界を、愉快に、遊び心をもって探求する楽しさを伝えたい。
そんな想いも募り、先月から個人セッションをスタートさせていただいています。
先日セッションをさせていただいたMさん(30代女性)から、こんな嬉しい感想を頂きました。
『頭でイメージをすることによって、
そう、目に見えない世界って、漠然と難しく考える方もいますが、
<自分の頭の中>と捉えると、何だそんなことかと、思われるかもしれません。
<自分の頭の中>って、誰の目にも見えないですよね。
あなたの頭の中は、誰も触ることができないし、誰にも侵入されることがない、絶対的なプライベート空間。
その中こそが、あなたの小宇宙であり、あなただけの絶対不可侵領域。
そこにきっと、あなたに必要なすべての問いと答えが入っています。
逆を言うと、初めからそこに入っていないものは、あなたにとってはどうしても必要なものではないのかも知れない。
私がセッションでお伝えすることというのは、その方が「その方にとっての絶対不可侵領域」とつながることを、サポートさせていただくということ。
誰にも、その絶対領域に、ずかずかと入っていくことはできません。
パートナーであっても、親子であっても、セラピストであっても。
信頼関係の深さとは一切関係がなく、誰にも、あなたの代わりに、あなたの中から情報を引き出して、見せてあげることはできない。
目に見えない世界とはつまり、自分の頭の中にある。
目に見えない世界を、何だか分からないが怪しい、と感じる人は、「自分の頭の中は、怪しい」と言っていることとほぼ同義にもなる。
つながろうとしなくても、つながりは既にある。
あなたの頭の中と、あなたが既につながっているように。
つながりは常にここにあって、ただそれに気づいていくということ。
私たちは常時、意識的にも無意識的にも、見えない世界とコミュニケーションを取っています。
分からないということが、自分の世界での「分かる」という確信に変わるとき、前に進んでいくことができます。
目に見えない領域全般の物事と、目に見える現実世界を包括的に理解することは、難しいことではなく、私たちが日常的に行っている活動そのもののことです。
あなたがこの世界全体をどういう風に見ているのか、どう認識しているのか。
それがあなたにとってのスピリチュアリティではないかと、私は感じています。
だから一人ひとりにとってのスピリチュアリティが違って、当然なのです。
見えない世界がスピリチュアルなのではなく、見えている世界と、見えない世界を含む、この世界のありとあらゆる万物を、あなたはどう認識しているのか。
私はこの世界をどう認識しているのか。
それを自分の言葉で語ることによって、世界が定義づけられ、形創られていく。
はじめに言葉ありき。
とは有名な聖書の一節ですが、言葉によって思考され、思考によって定義づけられていく。
はじめに世界の方が外側にあったのではなく、あなたが存在し、認識し、思考することで、世界ははじまった。
そこには正しさや正解はなく、間違いもない。
それはとても尊く、大切で、どの場面を切り取っても、そこにはあなたらしさしかない。
あなただけのバランスを見つけて、あなただけの歯車を回していく。
そんな世界はなんて面白いんだろう。
あなたが思い描けることは、すべて実現できる。
この無秩序で、混沌で、矛盾と葛藤だらけの頭の中こそが、それぞれの宇宙。
矛盾と葛藤があるからこそ、不完全な美しさが在る。
不完全だからこそ、見る者を圧倒するような、美しい幾何学が描かれる。
善悪の幻想に囚われることがもうなくなれば、あなたというカオスに、この先たくさんの人が恋をすることでしょう。
あなたの矛盾も葛藤もカオスも。全部がとても、魅力的。
最低最悪なあなたも、興味深い。
見えない世界は、怖くない。ひたすらに、面白いのです。
今日もすばらしい一日を。
ゆりあより
愛を込めて♡
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