こんにちは、YURIA Leeです。
今年2度目に迎えた天秤座の満月、
皆さん如何お過ごしですか?
人生の方向性そのものを大幅に転換する、
大胆な舵をきった(切らざるを得なかった)
という方もきっと、少なくないと思います。
私自身もそんな舵を切った一人として、
残された人生の時間に向き合う覚悟です。
春分が明けて以降、あらゆる角度から、
「自分で自分に嘘が付けない」という感覚が
これまでになく、強まってきています。
自分ではない誰かが創り上げた価値基準や、
世間的に良しとされる何かを信じることに
違和感を感じ始める人も、増えています。
当たり前過ぎて気づきもしなかった、
「既存のものさし」が実は全く、
「自分のものさし」ではなかったことに、
今になってようやく気づいてしまったり。
自分にとって「本質的でないもの」は、
メッキが剥がれ落ちるように明らかになり、
無自覚に自分で自分についていた嘘たちも、
その嘘をカバーするための些末な設定も、
他人と穏便にやり過ごす上辺の会話も、
何ひとつ意味を成さなくなってゆきます。
もはや、自らの本質からしか、
持続可能な未来を創り出すことはない。
時にそれは、シビア過ぎるほどシビアに、
痛い現実と直面するケースもあるでしょう。
エゴ(自我)の表面的な望みと、
スピリット(本質)の奥底からの望みを
明確に区別できていないとき、
エゴから生み出された行動と結果は、
一時的な快楽やその場凌ぎにはなっても、
真の幸福感や充足感には繋がらないため、
一時的な高揚感が過ぎ去ったあと、
持続発展していかない虚無感が残ります。
この時期、エゴの巧妙な説得に引っ掛かり、
手痛い失敗をすることがあったとしても、
めげずに失敗体験を肥やしに変えましょう。
何度も痛い錯覚を繰り返し、
何度も勘違い経験を繰り返し、
それでも失敗の痛みと傷と恥ずかしさを
また消化して、分解して、土に還して、
それなりの肥やしと糧になるまで・・・。
繰り返す失敗からしか、
学習することはできない。
己の学習能力の低さを嘆きたくもなるが、
どんな失敗も、決して無駄にはならない。
天の采配は常に完璧であることを信頼し、
全プロセスを面白がっていきましょう。
何かを本気で学ぶために、時には、
大切な何かを喪失する恐怖を味わうこと、
胸をえぐるような痛みの体験も必要だから。
持続発展してゆける未来を創るためには、
潔く失敗できることは祝福だし、
ダメージを糧に変えられることは豊かさ。
ある意味上手に死んで、上手に蘇る力。
自家再生・循環力のような力さえあれば、
いずれ必ず、命が輝ける未来を創れる。
今はそう信じています。
昨今、そこら中で耳にする言葉、
<サステイナビリティ=持続可能性>
環境や経済や社会の持続発展性について
議論されるとき、使われる言葉ですが、
私が思うに、人間にとってこの、
サステイナビリティ=持続可能性はまず、
自分自身の内側から始まるのだと感じます。
個人のサステイナビリティと、
社会のサステイナビリティは、
確実につながっている
2015年9月に、国連加盟国193カ国により、
全会一致で採択されたと言われている
『SDGs(エス・ディー・ジーズ)』
持続可能な社会発展にコミットするゴール
Sustainable Development Goalsの略で、
2030年までに世界全体で達成したい目標
として国連が掲げた指標リストです。
17の大きな目標と、それらを達成する為の
169のターゲットで構成されています。
先日、SDGsの本質をゲームで体感できる
という日本発のカードゲーム『2030SDGs』
の体験ワークショップがシンガポールで
開催されていたので、参加してきました。
端的に言って、非常に面白かったです。
ゲームの目的は、頭で学ぶことではなく、
身体で体感し、気づくこと。
★『2030 SDGs』についての詳細は、
こちらのページをぜひご参照ください。
経済と環境と社会の問題を、どこか遠い
世界の他人事として捉えるのではなく、
環境のサステイナビリティも、
経済のサステイナビリティも、
実はすべてが自分事である
という感覚とマインドセットを、
机上のロジックだけではなく、
実感を伴った体感性に腹落ちさせること。
そしてその腹落ちした実感を使って、
日常の具体的アクションを選ぶこと。
社会変革の起点は、
「どこかの誰か」ではなく、
「いまの自分」から常に始まる。
というか、「いまの自分」から以外に
何ひとつ始まりようがない事実を知り、
淡々と日々できることを積み重ねる。
自分の内側=心、精神、無意識、在り方
様々な呼び方ができると思いますが、
その内側の世界が持続的に循環し、
成長・進化・発展していくこと無しに、
社会の成長・変革も当然起こり得ない。
『2030 SDGs』ゲーム体験後、感じた事は
自分から他人に声をかけ、交渉しない限り、
物事は何も進まないという当たり前のこと。
当たり前過ぎて途方に暮れるのですが、
他人事として切り離していたこと、
自分事としては捉えていなかったことの、
なんとまぁ・・・多かったことか!
経済、環境、社会を自分事として捉えるのは
根性論とか綺麗事とは全く違う話で。
自分の中の古いものが死んで滅び、
その内側に新しいものが勃興する。
その破壊と再生のプロセスに注目することは
いつだって社会変革の起点になり得ると。
だから社会を良くするために、
他人や外的な諸条件を変える必要はなくて、
自分が循環・変化していけばいいだけの事。
そんな今更?!な原理が腑に落ちるのに、
何十年(何千年)も掛かってしまった(笑)
けれども時間がかかった人生の全行程は、
決して無駄ではなかったと感じています。
初めから何の障壁も無く、苦も無く、
自己表現することができる人間だったら、
表現する難しさはきっと分からなかったし、
自分が表現する喜びも、
誰かの表現に心が触れる深い喜びも、
きっと今ほどには分からなかった。
誰もが自分をそのまま表現すること。
「自己表現」の機会が推奨され、
温かく歓迎される社会を創りたい。
それが、私の真の願いでした。
そんなこと、15歳頃からずっと思っていて、
でも漠然としていて、言語化されておらず、
どうせ大した意味もないと思っていました。
ちっぽけなこの私がいくらそう願ったって、
この社会は何も変わらないんだし、
そんなこと宣言して、何の意味があるわけ?
正直なところ、そう考えていました。
広大な世界に対して、何の影響力も持たない
「無力な自分」という刷り込みは強烈で、
「行動しない」ための絶好の言い訳と、
「責任取らない」ための都合の良い口実に、
もう十分過ぎるほど、成り得たわけで。
激しく自戒の意をこめて、
もういい加減、目を覚ますときですね。
「私は世界に対して影響力がない」という
甚だしくおこがましい勘違いから脱却し、
己の真の願いにただ素直になってみます。
世界が大きくて、自分が小さいのではない。
自分と世界とはいつも、
対等に影響し合っている。
だからこそ個として生きる自分の精神の、
サステイナビリティを丁寧に育むこと。
そこで生まれる当事者意識の起点こそが、
経済と環境と社会の持続発展と成長に、
確実につながっていくと感じています。
未だ言語化されていない
奥底に眠る価値を可視化すること
自分の内面を見るのはかなり困難でも、
他人の奥底は意外と見えたりするものです。
「こんなに良い所がいっぱい有るのに、
この人、何ですぐに自己卑下したり、
簡単に自信失くしたりするんだろか?」
身近な誰かに対して、
こんな風に感じたこと、ありませんか?
お世辞ではなく素晴らしい輝きが見える。
なのに当の本人には全く見えていない!!
自分を含め、おそらくほぼ全ての人類に、
この現象が起きていると思うと笑えます。
全ての人の無意識世界の中には、
本人すら未だ気づいていない、
未だかつて言語化されたことのない、
とてつもなく深遠な世界観や宇宙観が、
奥行きをもって広がっています。
その人独自の実体験に基づいた信念、
その人なりの人生哲学と美意識、
既存のカテゴリーに当て嵌めることなど
到底できないユニークな才能と知的資本。
それはもう計り知れない価値たちが、
宝の山のように眠っているのです。
その価値のスケールたるや・・・!
冗談抜きでとんでもないものです。
この世には「つまらない人」など居ない。
「つまらない」という見方があるだけで、
ただとんでもなく深い奥行きの世界が、
ある人の目には見えていないだけなのです。
私はその宝の山を掘り起こすのが好きです。
人と関わる醍醐味は、ここにあって。
未だ発見されていない、
無形資本とその真価を、
言葉を使って可視化できたら。
知らなかった自分、知らなかった相手の顔が
夜明けの光に照らされるように、
立ち現れてくる瞬間が好きなのです。
あなたの信じられないくらい面白い所、
あなたのとてつもなくユニークな所、
それらが未だ夜の闇に眠っていても、
いつか目覚めるときが来ることを知って、
いまかいまかと発見されたがっている。
今ははっきり見えなかったとしても、
大丈夫だから、焦らなくていい。
丁寧に自分と向き合うこと。
丁寧に相手と向き合うこと。
たまには適当でもいいから、
それでも関わりを諦めないこと。
そうやって過ごしているといつか、
全体性を生きる命としての
「わたし」も「あなた」も、
同じ海の意識でつながっていたこと、
いつか分かるようになるはずです。
自分が何を表現しているか、
相手が何を言っているか、
全部正確に理解なんてできなくていい。
表現さえ続けていれば。
ドアだけは、閉めないでいてくれたら。
何でそんなに面白い所、隠していたの!!
ときっと叫びたくなることでしょう。
最後まで読んでくださって、
ありがとうございます♡
YURIA Lee
コメントを残す