私たちはときに、経験したことを、何物としても昇華できないような「痛み」に遭遇することがある。
人間である自分の思考で、理屈をつけられる範囲のことは、本当はとても少ない。
思考で解釈することや、定義すること、納得させることが難しい、理不尽な痛みや、
どこにも解消することができない、途方に暮れる重さのようなもの。
それらは確かに、この世に存在する。
予期せぬショックな出来事として体験することもあれば、身体的な激しい痛みとして経験する場合もある。
痛いものは、痛い。
痛いものは、痛いのだ。
理解しがたい痛みが、確かにそこに在る。
わざわざ受難の道を選ぶ必要はない。そう分かっていてもなお、身に起こってしまうことはある。
どうにもならない痛みや、辛さや、恥ずかしさや、怖さを、私たちは体験する。
必ず体験する。
その傷によって、理屈だけでは片付けられない何かを知る。

頭で理解できなくてもいい。
なにものとしても昇華できなくていい。
痛みは痛みとして受け止める。
それしかできないと感じている。
その痛みや、辛さや、恥ずかしさや、怖さを、ただ真正面から受け止めて、味わうことしかできないとしても。
その経験は、いつか必ず生きてくるから。
どんな痛みも、後々出逢うであろう幸せへの布石になっている。
あなたが乗り越えた痛みの深さと種類だけ、同じような経験をしている人の痛みを、あなたは理解することができる。
他の人はできなくても、あなたはその誰かに、本当の意味で寄り添い、手を差し伸べることができるかもしれない。
あなたが乗り越えた痛みの深さだけ、幸せと豊かさと自由の深度を知る。
痛みを知った経験が、必ず生きてくるときが、やってくるから。

あなたは独りではない、の本当の意味
痛みの真っ只中にいるとき、あなたはそれを「たった独りで味わっている」と感じるかもしれません。
かつて私もそう感じていたし、この「誰とも分かち合えない」という感覚は、なかなかの真実味を帯びていたから、
人間はどこか、究極的には孤独な存在である…みたいな感覚を、長らく持っていました。
しかしここにひとつ、あまり知られていない宇宙の秘密が在ります。
あなたの痛みや体験を、一緒に味わっている人物が、実は「もうひとりだけ」存在するということ。
あなたが見ているその宇宙の果て(外側)には、何が在ると思いますか?
現代科学の世界においては「宇宙は何も無いところからビッグバンにより誕生した」という説が広く支持されていたり、
「宇宙は膨張し続けていて、宇宙の果てがどうなっているのか、誰も知らない」といった考え方を、学校では習うかもしれません。
不思議なことに、それすらひとつの仮説に過ぎないにも関わらず、多くの人がそう信じているからという理由で、疑いもなく信じている人は沢山います。
あなたの宇宙の果てに在るものは何か??
そこには、「何も無い空間が広がっている」と考える代わりに、こんな風に仮定してみることもできます。
そこには、あなたを一心に見つめる、真摯な眼差しが在ると。
宇宙の最果てから、あなただけを見ている、その視線の向こう側に、もうひとりのあなたが居る。
「もうひとりのあなた」はこう語りかける。
私は、ここに居ます。
この観測点から、あなたにメッセージを送り続けています。
私とは、あなた自身のことです。
長い歴史を経て、今なお刻々と変化し続けている、あなたと共に居ます。
あなたが、地上で体験しているすべての営みを、私も見て、知って、聴いて、感じて、共に味わっています。
あなたに感謝しています。
私は、あなたという宇宙の果てから、あなたを見ている、あなた自身なのです。
あなたの痛みも、喜びも、叫びもすべて、私は一緒に感じています。
あなたが誰にも話したことのない想いも。
人に伝えたくても伝わらなかった気持ちも。
あなたが誰とも分かち合ったことのない孤独も。
大切な人を想う純粋な愛も。
自分なんか無くなればいいと思う瞬間も。
情けなさ、不安、焦り、大いなる怖れ。
あなたの愚かさ、プライドも。
その無知さ、純真無垢さも。
一生懸命さも、がんばりも。
あなたの怠惰と、狂気も。
大輪の華のような美しさを。
あなたの狡猾さも、混沌も。
言葉にならないあなたのすべてを。
私だけは、分かっていること。
どうか忘れないでいて。
私だけは、すべて分かっていることを。
世界でいちばん、愛しています。
世界でいちばん、あなたが好き。
いつもいつも、あなたを想い続けています。
あなたでいてくれて、本当にありがとう。
・・・こんな熱烈ラブレターを受け取った日には、鼻血が出そうになりますがw
これは実際に、私が「もうひとりの私」から受け取ったラブレターでもあります。
繰り返し、繰り返しやって来る、終わりの見えない痛みの波に、もう嫌だ、もう勘弁して!!!
と音を上げかけた私に伝えられた、観測点にいる「もうひとりの私」からのメッセージ。
宇宙の果てに、自分自身である「もうひとりの自分」が存在するのは、単なる気まぐれではありません。
それは、たとえ何があっても、自分の意識の現在地を見失わないようにするためです。
痛みやショックによって、築き上げてきたプライドのタワーが倒壊し、否が応でも現実を直視せざるを得ないようなことは、人生の中で幾度となくやって来ます。
どんな衝撃を受けても、自分を決して見失わないために、私たちは、この宇宙の外に、自分の片割れを置いてきました。
その自分が居てくれるから、安心して生きていくことができます。
その自分が居てくれるから、人生ゲームのPlayerとして、のびのび楽しめるわけです。
そのことを忘れてしまったときは、このメッセージを読んで想い出せるように、ここに書き記しておきます。
「もうひとりの自分」ほど心強い応援者はいません。
狭くなりがちな思考の檻の外から、新しいものの見方を教えてくれる存在です。
私たちはもはや、孤独になりようがないのです。
あなたが、「もうひとりのあなた」から送信され続けているメッセージに、今日はっきりと、気づけますように。
YURIAより
愛を込めて♡
YURIAさんの言葉や文章表現のセンス大好き!
もう1人の自分をいつも感じてます。結局何を選択しても大丈夫なんですよね笑
いつもおおいなる気づきを与えてくれてありがとうございます。