あなたの同意なしに、誰もあなたに劣等感を抱かせることはできない

元アメリカ合衆国のファーストレディ、エレノア・ルーズベルトは言った。

『あなたの同意なしに、誰もあなたに劣等感を抱かせることはできない』

As Eleanor Roosevelt said,

No one can make you feel inferior without your consent.

こんにちは、YURIA Leeです。

この宇宙では、あなたの同意なしに、人があなたに「何かを感じさせる」ことは、原理上できない仕組みになっている。

しばしば忘れがちなこの原則を、端的に言い表した、名言であるなぁと感じました。

たとえ誰かがあなたに「お前はみじめで情けない奴だ」と告げたとしても、

あなた自身が「その通り。私はみじめで情けない奴だ」と認めていない限り

当然ながら、みじめな気持ちも、情けない気持ちも、感じることはありえません。

私たちは、自分が「こうだ」と決めたもの、認めたものを生きて、そしてそう成っています。

「こうだ」と決めたものの中には、無自覚に決めたものも、もちろん含まれています。

というよりむしろ、「無自覚に決めたもの」の方が遥かに大半を占める、自我意識の世界で生きています。

内的宇宙において、自分はいったい何を決めたのか?

無自覚に認めたどんな決め事に、いまも影響され続けているのか?

それらを客観的に理解していくことが、人生の自由度アップへとつながります。

内的宇宙を客観的に理解していくこと。

そのための強力なヒントとなるのが、劣等感や嫌悪感をはじめとする、様々な感情反応。

感情反応は全て、内的宇宙を解き明かすキーとなる。

「誰かのせいでこうなんだ」とあなたが密かに感じているのは、どんなことか?

無自覚に抱えている無数の信念のうち、もうあなたの役に立たない信念は何だろうか?

質問をすると、必ず答えがやってきます。

私たち人間に与えられている最大の権利とは何か?

それは、目の前の出来事を好きに解釈できる権利。

何をどう解釈し、何をどう感じるか。

その自由は誰にも奪うことができません。

たとえ牢獄に入れられて拷問されていようが、破産して一文無しになろうが、重い病気で入院していようが、

その状況をどう解釈して、何を感じ、どういう風にそこから未来を自分の頭の中で創っていくか?

それは誰にも縛ることはできないし、規制することもできません。

そこが私たちひとりひとり、誰もが必ず持っている、

自分だけの自由スペースであり、本当の創造空間なのです。

物の見方ひとつで、出来事の意味が180度変わる。

実際にそういう体験をしたことがある、という方がほとんどだと思います。

にも関わらず私たちの多くは、「全てを好きに解釈して良い自由などない」という刷り込み教育を受けて育ったために、

知らず知らずのうちに、『社会の常識』という、謎の巨大マニュアルの影響下にいます。

「こんな出来事を体験したのは、常識的にはこういう意味だろう」

「こんな出来事を体験したのだから、普通はこういう風に感じるだろう」

「いや、普通はこうでしょ?あの人は非常識ね」

「あの人が私を、こういう気持ちにさせる

こんな思考や台詞がつい口をついて出てくる場合は、よくよく内面世界を観察してみるチャンスです。

繰り返しますが、私たち人間の最大の権利は、解釈の自由

私たちは本来、目の前の出来事を、どう解釈しても良いのです。

「常識」や「普通」は、実体のない幻想でありながら、さも実体があるかのような説得力をもって人に影響を与えます。

それらの常識や社会通念を認めて、無自覚に思い込みの影響を受け続けて生きるのか?

それとも解釈の自由を行使して、どこまでもクリエイティブに、愉快に、発想を飛躍させてみるか?

どちらの選択も、自分次第。

どう解釈するかが自由なら、どう設定するかも自由です。

私たちは、意図して設定したものに、成っています。

『自分は何の取り柄もないつまらない存在』と設定することもできますし、

『自分はこの宇宙一、神聖な存在』と設定することもできます。

何事もそうですが、自分の意図により設定し、そのようにして扱うと、本当にその通りに成っていきます。

自分の意図により設定し、そのようにして扱うと、その通りに成る。

深淵な宇宙の原則のひとつでもあります。

何の変哲もない石ころを、誰かが大切に大切に敬意を込め、とても神聖なものとして取り扱っていくとする。

毎日祈りを捧げ、祭壇に奉り、優しく丁寧に愛を注いでいく。

するとやがて、実際にその石には聖なる霊力が宿ります。

人間の場合も同じです。

自分を雑に扱う人は、雑に扱われる存在に成っていき、

自分を大切に扱う人は、大切に扱われる存在に成っていきます。

私自身はつい最近から、自分のことを『神聖な存在』として扱い始めることにしました。

独りコントじみていてシュールで笑えますが、

実際にどういった生活をするかと言えば、行動自体はさして変わらないのですが、込める意図を変えました。

「この人は神聖な存在だから、質の良いものを食べさせて差し上げよう」と思いながら食事をしたり、

「この人は神聖な存在だから、身を清めて美しく磨こう」と思いながら普通にシャワーを浴びたり。

遊び半分ですが、「神聖なる神々のアソビ」のようなつもりで、しばらく生活をしてみました。

数週間経ったいま、何だか自分は本当に、『神聖な存在』なのだな、という実感が伴ってきた次第です。

一歩間違えると、ただの危ないやつ(笑)

けれども私はこれを、真剣な遊びとして行っています。

人に何を言われようと、何を体験しようと、私たちには

自分で自分のことを定義できる自由がある

ということを忘れないように。

私は基本的に人生はジョークだと思っていますが、

たとえジョークであっても、冗談抜きで(どっちだよ)

あなたは紛うことなき、神聖なる存在です。

あなた自身の魂の繊細さを、どうか見くびらないでください。

あなた以外の他の誰かを大切にする前にまず、あなた自身を大切に扱ってください。

それはあなたが、本当は「自分よりも大切にしたい」と思い焦がれる大切な誰かがいるからこそ。

自分よりも大切にしたい誰かを、本当に大切にできる自分に成るために、自分自身を大切に扱ってください。

本気で自分を大切にできる人は、無限の宇宙エネルギーを周りに与えていける人に、きっと成るでしょう。

私もまさに今、その道の途上です。

あなたが持つ本当の影響力を、この世界に解き放つために。

あなたという強烈な光を、あなた自身が見つめ、愛し、抱き締めることができますように。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

1984年、愛知県生まれ。シンガポール在住15年になる一児の母。宇宙意識研究家、フリーライター、組織変革コンサルタント。ひとりひとりが自分の本質へと還る旅を応援するラーニングサロン『Art of Life Script 』代表。個人向けにはありのままのユニークな可能性を拓く個人コンサルテーションを、組織向けには組織としてのパフォーマンスを向上させる組織コンサルテーションを提供している。