【2019年 春分】恥も醜悪も堂々と晒して歩み始める、黄金の夜明け

どれだけ自分が恥知らずで醜いか
知っている人は、とても美しい。

底無しの醜さをもってしてなお、
自分を受け入れている人には、
抗いがたい魅力がある。

自分の駄目なところ。
いびつに歪んだところ。
クズ過ぎて救いようがないところ。

その奇妙な形こそが実は、
自分だけの魅力だというのに。

私たちは何故だかそれでも、
自分を「まともな人間」だと思いたい。

薄い化けの皮を一枚剥がせば、
悪魔のように冷酷な本性など、
いとも簡単に目撃されうるし、

最低最悪の腹黒い自分は、
いつだって確かにそこに居るのに。

涼しい顔をして「いやぁこんな私でも、
さすがにそこまで
酷くはないです(笑)」
などと平然と言ってのけたりするのだ。

「粗相はするし、失敗もするし、
無神経に人を傷つけたりもするけれど、
実際そこまでひどい悪意は無いんです」

「ずっとまともに生きてきたつもりだし、
これからだって大丈夫なはず。
そんなに自分は酷くないはず・・・」

そう思いたい気持ちは、痛いほど分かる。

私もそう、ずっと信じてきたから。

本当はもうちょっとくらいは、
マシな人間なのだと(笑)

滑稽にも、おこがましくも、
望みをかけて信じたかった。

あぁしかし残念ながら。

残念ながら。

あるいはきっと、幸運ながら。

私たちは既に、何をどう足掻いても、
悪意に満ちた性根を持っているのだし、

その本性を隠して生きていくことなど、
到底できない時代の流れに入っている。

己の本性を隠したままで、
「まともに見える部分」やら、
「美しく見える部分」だけを取り繕って、
何とか生きていけた時代は、終焉を迎えた。

「本性」とはそもそも一体、何なのか?

「あなた」は一体、誰なのか?

明確な言葉を持たないぐちゃぐちゃの、
自分の「中身」は、あまりにもカオスで。

でもその中に、確かな叫びがある。

その叫びの音を聴かずして、
自分が何者であるかを知ることはない。

今こそ勇気をふり絞って、
ちゃんと向き合わなければならない。

自分は自分で思っているよりずっと、
「最低最悪に醜い」という事実に。

そしてそれは、ちっとも悪いことではない。
嘆き悲しむようなことでもない。

何故なら、「醜さ」に向き合うことこそ、

自分の「本当の美しさ」を受け取るために
必要不可欠な、避けては通れない道だから。

だって自分は自分で思っているよりずっと、
こんなにも最高最上に、美しい。

狂気を受け入れる
「女性性」の真価

自分の本性、自分の本質。

私たちは、その全体像の1%すらも、
理解できているのかどうか怪しい。

殆ど理解していないどころか、
何ひとつ受け入れていないかも知れない。

自分で自分に隠している本性ほど、
恐ろしいものはない。

それはまるで、自分を全身全霊で
愛してくれた大切な人の心を、
悪意なく平気でえぐり、
無遠慮に切り裂くような狂気。

自分を一瞬で破滅させるのに
充分なくらい、凶暴な暴力性。

ときに制御不能にも思える情動で、
理性を超えた残忍さを帯びている。

そんなもの、自分は持っていない?

自分には、そんな性質なんて無い?

そう本当に、言い切れるだろうか?

私は知らなかった。

自分の中に在る狂気が、
どれほどのものであるのか。

だからいつもどこか、
自分の本性が恐ろしかった。

残虐なニュースを聞くたびに、
なぜ人間がそれほどまでに暴力的に
なり得るのか、理解できなかった。

と同時に「私には関係ない」とは
どうしても、思えなかった。

暴力的な欲望のエネルギーは、
いつ噴火してもおかしくはない
マグマのように、常に私の中に在った。

そこは人間理性が及ばぬ獣的な本能と、
魔的なものとが深く結びついた、
真の女性性エネルギーが潜む場所でもある。

「女性性」という言葉は、
しばしば誤解されている。

優しくて、柔らかくて、フワフワしていて、
包み込むような受容のエネルギーは、
確かに女性性のもつ一側面ではあるけれど、
それらはきっとほんの一側面に過ぎない。

「女」ほど不可解な生き物はいない、
とは昔からよく言ったものだ。

「女」ほど不可解でありながら、
不可解さにそのまま「OK」を出せる
可笑しな生き物も、他に類を見ない。

しかし「女」のもつ真の力は、
さらにもっともっと奥深くに潜む。

「女性性」の真価とは、
制御不能に思える欲望と本能と狂気を、
ありのままに受け止める力と、
適切に制御できる強さのことを言う。

欲望と本能と狂気と。

戦うのではなく、
抑圧するのではなく。

無視するのではなく、
否定するのではなく、
切り離すのでもなく。

気づき、
受け止め、

共存する。

荒ぶる狂気を認め、
静かに宥め、
落ち着かせ、
調和させる。

「調和」という美徳の道を、
毅然とした態度で選べる強さのこと。

「女」の力とは、
そういうもののことを言う。

たとえ自分の中のマグマが噴火しても、
適切に制御できる「女」が居れば。

私はもう、私を恐れる必要がなくなる。

独りでは超えられない壁を
乗り越えるのは、対話の力

「本質で生きる」とは、
自分の恥も醜悪も、もちろん美しさも、
堂々と晒して生きることに他ならない。

長い間、私にはそれが、
どうしてもできなかった。

自分の「最も恥ずかしい部分」や、
自分の「最も醜い部分」を、

この世に居るたった一人の誰かにだけは、
さらけ出すことができたなら。

人はどうにか安心して、
やっと前に進むことができる。

私にとってその人は、
パートナーである夫だったのだけど、

夫に全てを見せているつもりでいて、
最後の最後の「一番の恥」の領域までは
いつも見せられずに、殆ど無意識に
夫から隠れている自分に気づいた。

今思えば、怖くて仕方なかったのだ。

私たち夫婦はある時、お互いが
同じ次元で感じていた深い怖れに気づいた。

夫は「それについて話そう」と言った。

私たちは、その怖れについて語った。
怖れながら、語り明かした。

私は自分の醜さについても、語った。

誰にも話さず抱えていた秘密を、
ひとつひとつ、毎晩語り合った。

変わりたくても変わらないパターン。
一番のトラウマ。
家族について。
未来について。
社会について。
自分について。

どれだけ話しても、
話が尽きることはなかった。

対話は、しんしんと繰り返された。

私はかつてこんなにも安心して、
人と話をしたことがあっただろうか?

初めて誰かと本当の意味で、
「対話」をしたのではないか?と感じた。

夫は「もっと話そう」と言った。

私は、こんなにも長い間、
対話に飢えていた自分に愕然とした。

独りでは超えられない壁がある。

どうしても、誰かの助けが必要なのだ。

それはパートナーかも知れないし、
親しい友人かも知れないし、
コーチやセラピストかも知れない。

安心して自分を開ける誰かに助けを求めて。

その相手と、本当の対話をすること。

お喋りなエゴの言い分を散々話した後、
超えがたいその一歩を超えて、
内側の本質からの本音の本音のさらに奥、
そのか細い声が音となって交わされるとき。

この世で最も心揺さぶられる音を聴く。

エゴを超えた本質としての自分から、
絞り出されてくる「本音」の音色。

その音に耳を傾け合うことができる瞬間、
「生きていて良かった」と心から思う。

既に満ちている自分を思い出す

2019年、立春。

6500年ほど長らく繰り返されてきた
魂のパターンから、自由になるとき。

いよいよ、旅立ちのとき。

自分が誰なのか?を思い出した私たちの、
頭上空高く、黄金の夜明けがやってくる。

You already know
what you think you need to know.

You already have
what you think you don’t.

これは、私が愛してやまないバンド
SING LIKE TALKINGの旧い楽曲
『君の風』という曲の歌詞の一部。

10代の頃に初めてこの曲を聴いて以来、
このフレーズが強烈に頭に残り、
事あるごとにこの言葉を思い出す。

 

— You already know
what you think you need to know.

— You already have
what you think you don’t.

「まだ知る必要がある」と思っている事、
あなたはもう、既に知っている。

「まだ持っていない」と信じている物、
あなたはもう、既に全部手にしている。

もしも、私の人生を一編の小説に
まとめる機会が持てるとしたら、
その小説の「テーマ」はきっとこうなる。

自分は何も知らないし、
何も持っていないと
信じてやまないひとりの少女が、

本当は必要な事を、
ちゃんと知っていたこと。

必要な物はもう全部、
自分の手の中に在ったこと

その真実をひとつ、またひとつと、
旅の途中で思い出していく。

既に知っていて、
既に持っている、
本来の自分に還っていく。

もう一度、自分の足でしっかりと立ち、
この大地を踏みしめたい。

蘇った精神たちがつながり合う
この地では、もう誰も独りではない。

あなたの手を握る、誰かが必ずいる。

その人の手を、自分から握り返して欲しい。

その人は、あなたをとても必要としている。

もしできれば、自分から話をして欲しい。
あなたについて、もっと語って欲しい。

あなたが抱えているコンプレックスや、
恥ずかしい話や、弱音を打ち明けることは、
回りまわって誰かを助けることになる。

こんな話をして何の意味があるのだろう?

そう思ったとしても、大丈夫。

世界はあなたが何か話してくれるのを、
必ず待っていてくれる。

2019年春分
YURIA Lee

 

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ABOUTこの記事をかいた人

1984年、愛知県生まれ。シンガポール在住10年。宇宙意識研究家、スピリチュアルライトワーカー。ひとりひとりが自分の本質へと還る旅を応援するサロン『Art of Life Script 』代表。個人コンサルテーションを通して、人がそれぞれの魂の圧倒的なユニークさと創造性に目醒め、宇宙全体の調和とともに生きるサポートをしている。とくに銀河系内プレアデス星団、シリウス星とのつながりを強くもつ、ライトランゲージ(光の言語)の話者でもある。タロット・アカデミアレベル1修了プラクティショナー。非言語身体表現に情熱をもち、5リズム、コンタクト・インプロヴィゼーション、バレエ等を踊る。シンガポール人のパートナーと一人息子がいる。