常夏のシンガポールから真冬の東京に移動して、一週間半が経ちました。年明けまで、1カ月近く日本に滞在します。
生後11カ月になる息子と私は、現在私の両親が東京で暮らす家に居候しています。
息子は、冬の気候にも食べ物にもよく順応して、すくすくと育っていますが、一方の私は、18歳で親元を離れてから、こんなにも長く両親とひとつ屋根の下で暮らしたことがなく、正直なところ、環境の変化に心身のエネルギーフィールドを順応させることに、幾何か苦心しました。
数日かけて今、ようやく馴染んできた感覚です。
時に「これでいいのかな?」などと苦慮を重ねていく、そんなプロセスも含めて、
すべては完璧なタイミングで進行しています。
特にこの3カ月間、自分の内面深く深く、真剣にコミットして向き合ってきました。
その過程で、私が改めて最もクローズアップせざるを得なかった側面はやはり、私を生み育ててくれた両親との関係性。
「親との関係」は、私たちが築く全ての人間関係の基盤になります。
人は皆、親という存在からこの世に生まれてきて、そして多大な影響を受けて育ちます。
人間である私たちは、「親との関係」に向き合わずして、本当の幸せを感じることはできないという仕組みに、どうやらなっているようです。
私は今回の人生で、今生の父と母を、生まれてくる前に明確に「自分で選んだ」という記憶があります。
にも関わらず、私自身が幼少期・思春期に父と母から受けた多大な影響によって、決して楽ではない生き方を長年選んできたことについて、100%自分の責任として、人生にアカウンタビリティを完全に取り戻したつもりになっていた私でしたが、今回の帰省によって衝撃とともに気づいたことは、
この期に及んで、なんとなんと、まだどこかで!!!最後のひと掴み、「自分は親のせいでああなった」という、過去の自分のストーリーにまつわる被害者意識を、たいそう大事に持ち続けていたという、事実でした。
「自分はこうやって育ったから、ああなってしまった。でも自分で努力して乗り越えた!」(ドヤァァァ)
冷静になって考えてみれば、これが主観に偏りまくった、真実とは程遠い単なる「ストーリー」であることが分かりますが、そのストーリーを無意識に握りしめ続けている限り、本当の自分を生きることは、できません。
ほんの一握りの被害者意識がもたらす、その爆発的な影響力を、甘く見ることはできない。
「〇〇のせいで×××」って、自分にパワーがないって宣言していることと同義だからね。
真実はこう。
人生で起こったことは全部、誰のせいでもなかった。
それでも、私が最後にまだ隠し持っていたものは、「親への文句と愛」。
父と母を誰よりも愛しているからこそ、大切で大切で、どうしようもなく大好きで仕方がないからこそ、自分のこと以上にお節介な文句をぶつけたくなってしまう。
親にはいつも健康でいて欲しいから、幸せでいて欲しいから、もっとラクに笑顔で生きて欲しいから、って全部全部、私のエゴであり、私のニーズでもあったのです。
ずっと、私が安心したかったから。
私を安心させてくれなかったことへの、両親に対する文句を、しつこく抱えて生きてきました。
それが今ようやく、私は本当は昔から、
いつだって安心していれば良かったし、
今も安心すればいいし、
これからも安心して大丈夫だ
ってことを、腹の底から感じることができました。
今生で肉体をもって一緒に生きる時代が終わったとしても、魂のつながりは続いていきます。
恐れることも、心配することも、本当は初めから、何ひとつ無かった。
父と母と私の間に存在したものは、
圧倒的に純粋な愛と感謝だけでした。
私はこの地球時間でいうところの2017年12月をもって、今生でこだわり責め続けてきた「親のせい」を、ひとつ残らず完全に手放すことを決意しました。
家族のメンバー全員を、ジャッジしているすべての仮面をとった下にある、魂の本質を見ることができたとき、そこには愛と感謝の光しか存在しませんでした。
歩んできた道の中で、幾度となく傷ついたと感じた経験の目的は全て、大切な何かを想い出すため。
もし私たちが、自分の人生を全て俯瞰してみることができたなら、あらゆる「傷」という傷が、実は幻想であったことに気づくはずです。
あなたが「自分は誰であるのか」、ということさえ想い出すことができれば。
すべての傷や痛みは、
「本当の自分」を忘れ去ったことによって付いたものです。
私たちは本来、自分自身の本当の姿や価値を忘れていなければ、何を体験したとしても、傷つくことがありません。
逆に言えば、私たちは、忘れてしまっていた自分自身の本来の姿や価値や、本質的な愛を想い出すために、敢えて「傷つく」という経験を選ぶのかもしれません。
胸躍る2018年を迎える前に、自分が生まれ育った家族の本質に向き合うこの濃厚な時間は、私にとって、宇宙から贈られた最高のギフトなのだと感じます。
数日前に母とゆっくり話す機会があり、そこで大きな気づきがありました。
母はある時からパワーストーンを好んで集めるようになり、家には色とりどりの美しいクリスタルや鉱石がありました。
そのことをふと想い出した私が、母にパワーストーンの話題を投げかけると、母はクリスタルを保管している箱から、4つの可愛らしい、卵形の丸い鉱石を取り出して、「これは私たち家族の石なんだよ」と言って見せてくれました。

これがその石たちの写真。私は今まで全く知らなかったのですが、母はこの石をそれぞれ、向かって左側のピンク色のローズクォーツが母自身を表す石、上の白いカルサイトが父を表す石、右側のピンクカルサイトが長女である姉を表す石、そして一番手前のピンクカルサイトが次女である私を表す石として、家族の幸せや健康を祈るときには、この石を握って祈ってくれていたのだとか。
中央にある緑色の美しい石は、アズライトかクリソコラ(記憶が曖昧で判然とせず)で、地球を表しているそうです。
私たち家族4人が、地球を取り囲んでいるというシュールな配置も、心から納得wの腑に落ちた感に、感動しました。
この美しい鉱石が象徴する顕現こそが、「私たち家族の本質」に他なりません。
淡いピンクと白の優しい色合いといい、卵のようなツルン・コロンとした可愛らしい形と質感いい、自分で言うのもなんですが、天使のように優しいエネルギーをもつラブリー家族(笑)
母はもうずっと前から、直感的にそのことを分かっていて、こんなにピッタリの石を選んでくれていました。
殺伐とした争いのエネルギーは、本来は似合いもしないし、必要ともしていなかった私たち家族。
でもきっとその「殺伐」があったからこそ、反転した裏側にある「ラブリーな家族愛♡」を見ることができた。
私はこの石たちの写真をいつも見えるところに置いておいて、家族の本質を忘れそうになったら、すぐに想い出せるようにしようと思いました。
あなたの家族の本質は、どんなですか?
どんな色で、どんな質感で、どんな形の、エネルギーなんだろう?
本当はずっと前から知っている、あなたの家族の本来の姿。
私もそれを、一緒に見たいと思います。
ゆりあより
愛を込めて。
☆追記記事はこちら↓
「あなたのせいで」から「あなたのおかげで」―本当の意味で人と人が関係を紡ぐ時代
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