今日は、久々に5リズム(ファイブリズム)を踊りに行ってきました。
5リズムって何?については、こちらの記事から。
今日はいつもより参加者の人数が少なくて、全体のエネルギーも比較的静かめで、スペースが広く感じられた。
ファシリテーターのYiannisが何度も「Be Authentic」(自分自身の感覚に正直になれ)と言っていたのが耳に残り。
2時間切れ間なく踊り続けながら、本当に色々な感覚が身体中を駆け巡った。
いまそれを何とか、言語化しようとしている。
私が「私」を取り戻そうとしてきた。
これって、今回の人生だけの、一話完結の物語ではなかったんだなぁということに、気づきました。
実のところ、数千数万年単位での、長い長い歴史の中で繰り返しつつも、何度も取り戻しきれずにもがいてきた、「私」というストーリーの集大成が、いまにつながっていた。
もっと言うと、私が「私」を取り戻したいと願う、あらゆる人々の魂の解放請願、その人類の集合意識の結集が、いまにつながっていた。
そうか。
どうりで(笑)
理屈では説明しきれない、どんなに冷静に俯瞰しようと努めても、ぐわんぐわんとドラマチックな感情の渦が押し寄せては引き、押し寄せては引きとなるのには、そんな背景があったからかもしれない。
私にはまだ、ドラマチックな感情へのジャッジがあったことに、今日の5リズムで気づきました。
ドラマチックな感情よ、ごめんなさい。
そのままで全然、良かったね。
ドラマチックの何が悪い(笑)どんな感情も、そのままで良かったね。
そりゃあ、考えてもみたまえ、数千数万年単位で、何度も何度も生まれ変わっていれば、どんなに平凡な人生にだって、1つくらいはドラマチックが付いてくる。
そりゃあ、無理もない。
すべての記憶が、覚えていない記憶たちが、私の身体の何十兆という細胞の中から、沸き立つように語り掛けてくる。
私が「私」であろうともがいてきたことを、知っているよと。
そう、ずっと。
私として生きたくなかったわけではない。
私として生きたくて、でもその戻り方が分からなくて、本物を生きることができない自分を否定してしまっていた。
とてもとても長い間。
自分が何者であるのかを忘れ、「私」ではない誰かとして生きることはこんなにも苦しい。
だから苦しいと感じないように、感覚を麻痺させてきた。
そして麻痺させたことすら、忘れた。
自分を守るために。
ぜんぶ、私を守るためだったのだ。
いまやっと、全部がつながったから。
私は私の一部を切り離すことなく、すり替えることもなく、「私」という全部に還っていく。
これは善い、これは優れている、これは要らない、これは悪い。そんな風に自分を切り刻むのをやめよう。
切り捨てるものなど、どこにもない。
私が「私」という全体である以上の、この命への畏敬はないのだから。
私ではない「誰か」として生きてくれた命にも、強くやわらかく抱き締めて伝えたい。
ずっとずっと私を守ってくれて、本当にありがとう。
迎えに来るまでに、数万年もかかってしまって、ごめんねと。
すごく大きな勇気が必要だったのです。
長い間、これは私だけの個人的な経験だと思ってきたけれど、ようやく気づいたことは、「私たち」人類の、他の誰かの意識とも、確実につながっているということ。
私は私を解き放つことで、この世界に機能していく覚悟です。
この時期、同じようなプロセスを経て、ひとつの人生の中で、もう一度生まれ直すような、Re-birth(再生)を経験している方も、多くいらっしゃるのではないかと思います。
ひとりではないという確信は、エネルギーシフトのうえでも、非常に大きな助けになりますね。
近々、私主催のお話会というか、どなたでも気軽に参加できる、少人数制の交流イベントを開きたいと考えています。
実現できそうになりましたら、お知らせしますね。
今日もすばらしい一日を。
ゆりあより
愛を込めて。
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