子どもが魂の次元から教えてくれる「全き存在としての自分」でいまを生きる愉しさ

先日、息子が1歳の誕生日を迎えました。

すくすくと元気に育ってくれていることに、感謝の日々です。

私は、彼が生まれてくる前から、彼の魂とコミュニケーションをしていました。

生まれてくる前に彼が私に伝えてきたことは、私と同じソウルグループ・ファミリーの一員として、長らく旅を共にしている仲であるということ。

そして、彼はその中でもオールド・ソウルといって、私より随分と成熟した魂であるということ。

今回、もう一度肉体をもって地球に生まれてくることは、彼の方は選択してもしなくてもどちらでも良かったのですが、

私と夫の魂や先祖の魂、その他の深い関わり合いのある魂同士との話し合いにより、私たち夫婦の息子として生まれてくることに合意が得られたために、今回やってきてくれたという経緯があります。

私と夫は、母親・父親という立場で彼の身の回りの世話や、生育環境を整えることをさせてもらうことを通して、

彼のオールド・ソウルとしての立場から色々と奇想天外な学びを教えてもらいながら、お互いの魂の目的を達成するために、サポートし合う関係です。

私たちは、そのようにして、身近な人間関係をもつうえで、お互いに記憶がないとしても、

魂レベルでの合意をもって、選び合っています

自分と他の魂との関係性と合意を理解できたときに、人間関係のほとんどの問題は、問題ではなくなることが多いです。

なぜなら、

どんな目的をもってその関係性を選んだのか

を理解することができれば、自分が相手に何を与え、相手から何を受け取ることができるのかが、分かるからです。

子育てに関して何か悩みがあるという親御さんは、自分の子どもを、本当に「子どもとして」しか認識していないというケースが多いようです。

つまりは自分のことも「親として」という役割で認識しているために、その認識のズレが、役割にまつわる悩み事に振り回される原因になっている状態。

私たちは誰もが、親という存在から生まれてきた子どもであり、子どもの親になり得る存在ですが、それぞれの魂の合意と交流は、その役割を超えたところで本来行われています。

この点が理解できるだけでも、親子関係の謎が紐解けていくのではないかと思います。

役割を外した、何者でもない自分と相手の「魂の本質」をみることができたとき、本当の意味で自分の姿も、相手の姿も見ることができます。

それまでは、自分や他人のことは分かっているつもりで、ほとんど分かっていないと思ったほうがいいですね。(これは私自身へのリマインドとして書いています)

さて、話は戻って息子についてですが、この一年間、息子を近くで観察していてつくづく思ったことは、「人間の本来の姿って面白いなぁ」という驚嘆にも近い想い。

世界的に大ヒットを飛ばしているアニメのキャラクター『ミニオンズ』をご存知の方は、例えとして分かりやすいかもしれませんが、子どものエネルギーって、ミニオンズがもつ愉快なエネルギーにとても近い。

ミニオンズは無邪気で、可笑しくて、ふざけていて、適当で、ひたすらに愛らしい。

「自分が何者であるか」なんて一切気にせず、純真無垢に一瞬一瞬を愉しんで生きています。

息子は遊びに夢中なときに、キャッ!キャッ!と可愛らしい声を上げて、笑いが止まらなくなることがあります。

その時の喜びそのものである、軽やかなアソビのエネルギーこそ、5次元以上上界に存在するスピリットたちが発信している周波数でもあります。

子どもがやっていることと、高次元スピリット界の住人たちがやっていることには、多くの共通点があります。

そのひとつがまさに

何の肩書も付いていない、
何者でもない『全き存在』としての自分で、いまを全力で遊ぶこと。

全き存在としてというのは、「自分には何かが足りない」とか、「何かと自分を比べる」とか、「恥」という概念がそもそも無い状態のことです。

過去もなく、未来もなく、時間という幻想もない世界で、いまだけを全力で生きています。

『時間とは、心の形そのものである』とは、尊敬する文筆家の岡崎直子さんの言葉ですが、「いまこの瞬間の連続だけ」を爆発的に生きている子どもと接していると、普段どれだけ自分が時間に縛られ、時間に追われ、心を奪われているかを、実感しています。

かれこれ物心ついてから、私の口癖の上位3位以内に入っている言葉は「もう時間がない」でしたw

時間なんてむしろ誰よりもある人間なのに、どれだけ「時間がない」を言い訳のように自分に言い聞かせて生きてきたんだ、と笑えてきますが、ここから意識的に時間に対する態度を見直すこと、意識的にいまを生きることはできるはず。

いまを生きるって、そこかしこで言われているコンセプトではあっても、全く腹で理解できていない自分がいました。

それは時間を気にせずやりたいように無責任に生きるということではなくて、

今この瞬間に自分に与えられている豊かさに、
どれだけ好奇心旺盛に目を向けることができるか

という、「生きる感度」のようなものだと解釈しています。

そのうえで、時間をどのように使うのかを、常に自分の意志で選んでいくということ。

生きる感度を上げたかったら、子どもに学ぶといいですね。

子どもほど生きる感度の高い存在は、なかなかいないのではと感じます。

周りにあるすべてのものに、とにかく触らずにはいられない、怖いもの知らずの好奇心と冒険心。

かつて自分の中にもあったけれど、徐々に必要のないものとして弱まっていった私たち人間の性質。

子どものような冒険心を取り戻し、ミニオンズのごとく、ふざけつつ真剣に生きることを愉しみたい。

2018年もどうぞよろしくお願いします。

ゆりあより
愛を込めて♡

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ABOUTこの記事をかいた人

1984年、愛知県生まれ。シンガポール在住15年になる一児の母。宇宙意識研究家、フリーライター、組織変革コンサルタント。ひとりひとりが自分の本質へと還る旅を応援するラーニングサロン『Art of Life Script 』代表。個人向けにはありのままのユニークな可能性を拓く個人コンサルテーションを、組織向けには組織としてのパフォーマンスを向上させる組織コンサルテーションを提供している。